2015年8月18日火曜日

悪性リンパ腫について(猫)




本当はリロが亡くなった後
眠れずにまとめていたものなのだけど、
今やっとアップ出来ます。


リロが病気になった時に、
分からない事だらけだったのでネットでたくさん調べました。
病院で教わった事や、あげていた食事などの事について足跡を残しておきたいと思いました。
同じ病気の猫ちゃんへほんの少し参考になったら幸いです。




<リンパ腫について>

猫ではレトロウイルスのひとつである猫白血病ウイルス(FeLV)が知られており、この猫白血病ウイルスは猫のリンパ腫の原因の約60%を占めている。猫白血病陰性の猫のリンパ腫瘍は残りの約40%にみられるが、その原因はよく分かっていない。

猫のリンパ腫を細胞のタイプによって分ける方法もあるが、ここでは解剖学的な部位によって分類したものを紹介する。全身のリンパ節および器官(とくに肝臓、脾臓)に発生したものを消化器型リンパ腫、皮膚を中心にしたものを皮膚型リンパ腫、縦隔リンパ腫や胸腺を中心にしたものを胸腺縦隔型リンパ腫と呼ぶ。ほかに猫では腎臓、脊髄、眼などに単発で発生するものがある。リンパ腫が全身性で腫瘍細胞が循環血液中に出現した場合にはリンパ球白血病という。

猫のリンパ系腫瘍の発生率は、10万頭中100頭と言われており、猫の全悪性腫瘍の約30%がリンパ腫との報告がある。腫瘍の発生部位により組織への侵襲の程度がそれぞれに異なるので、リンパ腫の経過、症状、予後などはさまざまである。

<発生状況>(あくまでも目安だということでした)

縦隔型/発生頻度(20~50%)/平均発生年齢(2~3歳)/FeLV陽性率(80%)
多中心型/発生頻度(20~40%)/平均発生年齢(4歳)/FeLV陽性率(80%)
消化器/発生頻度(15~45%)/平均発生年齢(8歳)/FeLV陽性率(30%)
皮膚型/発生頻度(5%以下)/平均発生年齢(8~10歳)/FeLV陽性率(10%以下)


<予後>

因子/良好
進行度(ステージⅠ・Ⅱ→MST 7.6ヶ月)
FeLV感染((-)→MST 7.0ヶ月)
発生型(●多中心型→MST 18ヶ月、治療反応率68%/●消化器型→MST 9.6ヶ月、治療反応率50%)

因子/不良
進行度(ステージⅢ・Ⅳ・Ⅴ→MST 2.5ヶ月)
FeLV感染((+)→MST 3.5ヶ月)
発生型(●腎臓型→MST 5ヶ月、治療反応率16%/●消化器型→MST 1.5ヶ月、治療反応率45%)

※MST・・・中央生存期間
☆リロは、悪性リンパ腫の腎臓型で末期でした。無治療だと1~2ヶ月の命と診断されました。


<治療概論>

多剤併用両方実施→6~9ヶ月生存/1年生存率:20%


<抗がん剤について>

癌に耐性が出来ないように数種類の抗がん剤を使って治療を進める事が多いようです。
組み合わせの種類(プロトコール)については色々フォーマットがあって、病院によってどのフォーマットを選ぶか、またはそのフォーマットをアレンジしているみたいです。ネコちゃんによってもどの抗がん剤が効き目があるのか様々ですので抗がん剤の種類についてはここでは説明は省略します。

リロが受けたプロトコールは、
1ヶ月目→週に一度4種類の抗がん剤の中から一種類+ステロイド
第5週目はお休み、第7,8,9週目は週に一度、10週目はお休み、
そこから先は2週間に一度、といったようにだんだん間隔をあけて寛解に持って行くといった計画でした。表には25週まで計画はありました。

リロは1ヶ月で4種+ステロイドを試しました。リロの体に負担をなるべくかけたくなかったので、副作用があまり出ないように先生がその週の体調と血液検査の結果を見ながら、体重に応じて規定の量の半分だったり、3/4の量の抗がん剤を投与していました。しかし、腎臓癌が全く小さくならず、(大きくはなっていなかったという意味ではそれなりに食い止めていたのかも)プロトコール以外の抗がん剤(猫で使える抗がん剤はあと2種類と言われました)のうち、比較的副作用の少ない方を試しました。
体調が思わしくない週は抗がん剤をお休みして、ステロイドのみの週もありました。
抗がん剤を使用している期間はカリカリを食べたり、ウエットを食べたり、比較的食欲があったように思います。ただ、抗がん剤を投与した2、3日後から副作用が出てまた食べなくなったりを日々繰り返していました。
リロの煩った腎臓型は先生に治療の反応率が低いと聞いていた通り、抗がん剤はあまり手応えがありませんでした。でも、病気と判明するまでの食べたいのに食べれなくてご飯をじっとみつめていた姿があまりにもやりきれなく、抗がん剤を使った事により、少しだけ食欲が出てカリカリやお刺身などを食べてくれた日もあったので救われました。


<フードやサプリ>

もともとジャンクフードが好きだったので、
腎不全のリロに塩分の多いジャンクフードを与えるのはとても嫌だったのですが
先生からも「とにかく食べたいというものはなんでもあげていいよ」と言われる程リロは状態が悪かったので、リロが少しでも食べてくれる物なら何でもいいと色々あげていました。
本人もその方が気分転換になって良かったみたいです。
病気のせいか、今日はこれを食べたけど、明日はもう食べない、みたいな日がずっと続きました。
なので1パック開けて他未開封のフードがどっさり。。。

腎臓サポート系/
プロステージ ル・シャットデトレ(カリカリ、よく食べた)
ドクターズケア キドニーケアフィッシュテイストネコ用(カリカリ、よく食べた)

療養食/
リーナルケア猫用(液体、本当に何も食べない飲まない時にスポイトで)
ヒルズ プリスクリプションダイエット 犬猫用(何も食べない時の強制給餌用)

その他/
H4O ペットサイエンスウォーター(酸素水、少しでも体調が軽くなればと、、)
コルディM 犬猫用冬虫夏草サプリ(サプリ、少量のウエットと混ぜて口の中へポン)
まぐろ赤身(刺身用)
焼き海苔(何も食べれないときリロは異様に欲しがりました。)
鰹節の出汁(何も飲まないとき)


ジャンク系/
懐石、COMBO、ボーノ、金のだしカップなどなど…ペットショップに
置いてあるスープの多いウエットは一通りチャレンジしてみました。


食べなくてもカリカリとウエット系を両方置いてみたり、朝と夜で変えてみたり色々。。。
空しいですが廃棄する方が断然多かったです。でも時々食べてくれるのが嬉しいんだな。。
途中、本当に何も食べないのに欲しそうな顔をする時には焼き海苔をあげたら少し食べてくれてそこから食欲が僅かに戻る事もありました。

<皮下点滴について>

腎臓癌により腎不全の状態になったリロ、
腎不全になると、
1.老廃物の除去
2.尿の生成
3.ホルモンの分泌
これらの機能が不全になります。
「エリスロポエチン」というホルモンが出せなくなると、新しい赤血球が作られず貧血になって行きます。
腎臓のしくみについては、こちらのページに分かりやすくかいてありました。

背中から皮下にビタミンや水分を入れてなるべく体内の毒素を薄めます。
リロは一日おきに通院で皮下点滴を行っていましたが、
後期は先生にお願いして、自宅で毎日行っていました。
わたしが通っていた病院では以前は自宅での皮下点滴を行っていたそうなのですが、
自宅では細菌感染の恐れなど色々リスクがあるのでやめていたそうです。
相談して、自己責任で行う事、その日に使う分だけ取りに行くという約束のもと自宅での皮下点滴を許可して頂きました。
病院の先生の考え方に色々あると思います。
通院中は絶えずずっと鳴いていたリロなので、通院が減らせたのは良かったです。
ただ、本当の最期の頃は皮下点滴さえ吸収出来ず、かえって負担になるので
体調やトイレの回数、通院や通わない時は先生相談は細かくした方が良いと思います。

<輸血の事>

猫の血液型はA型、B型、AB型の3種類。猫の90%はA型だそうです。
リロも、ドナーとなった次女ハイジもA型でした。
採血の量は体格に応じて猫では30~60ml。頸部、前肢から毛狩りをして採血します。
大人しい子はそのまま輸血しますが、動く子は鎮静剤を打って処置。
ちなみにリロは静か(というかぐったり)なので鎮静剤は必要ありませんでしたが、
超元気なハイジは鎮静剤打たれてました。。ハイジから40mlもらいました。

ドナーとなる側の猫ちゃんにも体重や年齢など条件があります。また、その他にもリスクがあります(鎮静剤や採血の副作用で嘔吐したり。ハイジも採血した夜中に吐いてしまいました)ので担当の先生によくお話を伺ってください。
ハイジは1~2週間くらいはあまり元気無かったように思います。そして、ストレスで500円玉大のハゲが出来てしまいました。
現在は回復しハゲた所にも毛が生えてきましたが、ハイジにも大きく負担をかけてしまった事を大変申し訳なく思いました。

輸血後のリロは一時的に体調も回復、ご飯も普通の1食分くらい食べれるようになりました。
良かった!と思うのもつかの間、やはり輸血しても病気は進んで行きます(涙)、、2週間後にはまた貧血になりました。



<思うこと>

悪性リンパ腫のこと、腎臓癌のこと、リロが食欲が無くなるまで全く分かりませんでした。
クリスマスイブにあと1~2ヶ月と余命宣告を受け、あの時はあと1ヶ月でリロとお別れなんて考えられなかった。
わたしたち家族に出来る事、色々考えました。
どんな方法も愛する猫のために選んだ道ならわたしは間違っていないと思います。
リロの猫本来の姿としての尊厳とわたしたちの子どものような存在のリロへ何をしてあげられるのか。。
毎日葛藤しながら無我夢中でした。
そして翌年に一緒に桜を見れた事が一番良かったです。
そしてどんな治療よりも、そばにいてあげること、話しかけてあげる事、好きな場所でゆっくりさせてあげる事が
一番喜んでいたように感じます。

リンパ腫の全ての猫ちゃんが少しでも和らぎますように。。。


2015年4月6日月曜日

リロのこと。




リロのこと。


リロ、2015年4月1日10時8分
私の腕の中で旅立ちました。

ありがとう、ありがとう
それしかない。



この日は朝9時に息子を託児室に預けて
リロとふたりで病院に向かいました。
4、5日前から飲まず食わずになり、下痢が続いた。水やご飯を口に運ぼうとしても、リロが心の底から拒んでいるのが分かった。
もうリロの命が終わりを迎える準備を始めた事を受け入れなくてはいけない事を悟った。
皮下点滴さえリロの体の負担にならないか、またこの先リロの体に起こると予想される事、その時の対応などを先生に相談したかったので
いつもは連れて行く息子は預ける事に決めていました。そして帰ったらリロが過ごし易いように部屋の模様替えをしようと思っていました。

先生はわたしの不安や疑問にゆっくり丁寧にお話し下さり、体が皮下点滴の水分を吸収出来ずむくんでいる事から
もう点滴もやめて様子をみよう、出来るだけ一緒にいてあげてとおっしゃいました。
もうすぐかもしれないし、長くても2、3日と。。
体重は3.04kgでしたが、点滴の水分が溜まってるとのことでした。
今日が最後の通院になるかな、きれい好きのリロが頑張ってトイレに這って向かいトイレの中で倒れている、
最後の2日は途中で間に合わず本人としてはすごく悔しいだろうな、
そんなリロを見てわたしもきちんと覚悟をしなくてはと思ってもやっぱり病院でも行き帰りの自転車でも泣けてくる。


曇り空に桜が満開に浮かび上がっていた。
ほんのすこしだけリロと近所の神社でお花見をすることにした。
外を見るのが好きだったけど、ここずっと通院以外は部屋の中だったから最後に外に出してあげたかった。
リロの入ったバッグを持ちながらふたりで「リロがなるべく苦しくなく、痛くありませんように」とお参りして
ベンチに座った。リロをバッグから出して、膝に乗せた。
もうリロはふにゃふにゃで手足に力が入らず、わたしの腕にもたれかかった。
神社の小さな公園はたまたま誰もいなくてとても静かだった。
風がそよそよ穏やかな時間の中、リロに花の匂いがするね、鳥の声がするね、と話しかけながら撫でた。
ここ4日くらいリロはずっと辛そうで神経も張っているのかずっと目を開けて眠れない様子が気になっていた。
だけど、この時ばかりはとても気持ち良さそうに目を閉じたので私も嬉しかった。
桜の写真を撮って家に着いたら聞いた事のない声で小さく鳴いた。
急いでいつものリロのお布団の所に出したらもう一度聞いた事のない声で大きく鳴いた。
慌ててリロを腕の中に抱きあげた。そこからは数秒だったと思う。
彼女は旅立って行きました。
その間ハイジがずっとリロの足を舐めていました。

わたしの最後のリロへの望みがリロを腕の中で引き取る事だったので...
ほとんど苦しむ事もなく、リロはほんとうにほんとうに最後の最後までいい子でした。






3/14ダイニングのリロ




ほんとうは、
リロが輸血をしたあとで一度Blogを書こうと思っていました。
その頃のリロは少し体調も良くて、病気になる前はいつも寝室でひとりで過ごす事が多かったのですが
ちいさなダイニングテーブルの上によくいるようになった。わたしはそこにリロのお気に入りのブランケットを敷いた。
家の中では一番うるさい場所。ちいさな怪獣のような息子がダイニングの上で走り回ってもリロはそこに横になっていた。
わたしたちが食事をする時もリロはその匂いにつられるようにテーブルの上に乗って来てリロも少しウエットのスープを舐めたりしていた。
調子が良い日はマグロを100g、3日続けて食べてくれる日もあった。
11月くらいからずっと食べたいのに、食べれないようなご飯をじっとみつめたまま食べる事の出来ないリロを見て来ただけに嬉しいひとときだった。
だけど、その翌日にはまた何も食べられなくなってしまった。
最初の輸血(3月13日)から2週間後、検診でまた貧血がかなり進んでいるとの事だった。
2週間でこれだけ貧血が進んでいると、再び輸血してもあまり効果がない事、また輸血しても元々のリンパ腫が良くなる訳ではなく、
腎臓がんも日増しに大きくなって行ってるのでそれだけ苦しみを伸ばしてしまう事になる。
更に、輸血ドナーとなったハイジにも同じ頃首の下に500円玉大のハゲが出来てしまった。
慌てて病院で診てもらったがこれといって細菌感染してる訳でもなく、ストレスだろうと。
前回のBlogで焦って盲目的に輸血のドナーを募ってしまいましたが、ドナーの側にこんなにもリスクがある事も初めて知った。
家族で話し合って、これ以上の輸血はやめる事にした。そう感じてはいたけどなかなかお互い言葉に出せなかった時、
この日診察にあたってくれた先生が「自分の猫だったらこれ以上の輸血はしないですね」とはっきりとおっしゃってくださったので踏み切れた。
ドナー候補に名乗りを上げてくれたハックルベリーフィンのさくちゃん(てんちゃん)、ハジ(ウイリアム)、猫沢エミさん(ピガ&ユピ)、
ゴメスザヒットマンの山田君(ポチミちゃん)、イラストレーターのイナキヨシコちゃん(ミルーちゃん)、スタッフのYちゃん(うづきちゃん)…
ほんとうにありがとう。。涙が出る程嬉しかったよ。

3月22日、再び食欲が全く無くなった。先生にお願いして2日に一度の通院での皮下点滴を自宅で出来るようにお願いした。それ以外の薬はやめる事にした。
23日、食欲無し、トイレで動けなくなっていた。自宅で皮下点滴。初めてなので自分の指に針を刺してしまった。
24-27日、ほぼ毎日自宅で皮下点滴、食欲もずっと無い。ひとくち、ふたくち無理のない程度に強制給餌。
28日、下痢。水分を補給してあげたいが、心の底から拒否していると感じる。ほとんど食べていないのに出てくる下痢は通常とは違って
もう体が最期の時を迎える準備をしてるのかな、と感じさせられた。夜私のベッドに入ってくる。朝方トイレで倒れていた。
29日-31日まで頑張ってトイレに行っては倒れているという感じ。ほとんど間に合わなくなっていた。31日の朝お尻を洗ってあげてから下痢が止まった。

3月31日、手にも力の入らないリロ、動けない。ここ数日はトイレまで自分で行きたいと思って無理には寝室に連れてこなかったけど、
夜リロが横になっている姿を見てたまらなくなり、息子が寝たあとペットシーツをたくさんベッドに敷いてリロを抱き上げて連れて来た。
息子、わたし、リロ、おまけに珍しくハイジもやってきて4人でベッドで眠った。
リロに腕を沿わせて毛の中にわたしの顔を埋めながら初めて出会った時の事から、いろいろ話しかけた。
ここ1週間はリロがトイレで倒れるようになってから猫砂の音一粒でも聞き逃さないように気を張っていたので、
リロのぬくもりに触れていたら安心してすうっと眠れた。

4月1日、珍しく息子も私も5時半にすっきりと目が覚めた。むくっと起きた息子が私の隣のリロを指差し、自分も一緒に横に寝たいと言う。
リロの隣に横になってリロをさわさわ撫でる。なんだか満足そう。下の部屋に降りよう、と言っても嫌だと言ってなかなかリロの側を離れなかった。
カーテンを開けてリロを寝室に横にしたまま時折リロの様子を見に行きながら朝の準備。
リロを自転車のカゴに乗せて9時に息子を託児室に預けた時、別れ際いつもはバイバ~イ♪と手を振ってあっさりお別れ出来るのに、
息子は一緒に病院に行きたいと今日だけは珍しく泣いた。日々の日課になっていたし、一緒に病院に行く時はリロの入った鞄を息子が持とうとさえしてくれるから
別々なのが寂しかったのかな、それとも今朝の事もあったし不思議な勘でこどもは気付いていたのかもしれない。
そしてそのあとの事はこのBlogの冒頭に戻ります。


前夜から旅立つまで、まるで全てが約束されたような
映画みたいな時間だった。





甘えん坊でさびしん坊
人見知りだけど世話焼き
クールなように見えて実はおっちょこちょい
ひとりでいるのも好きだけど、息子が泣いてると必ずそばにやってくる
きれい好きで気品があって
人間だったら誰もが振り返るような美人
雑種とは思えない位ほどよい長さで極上の毛並みに
彫刻みたいな美しい模様
こぼれそうな大きなグリーンの瞳、
子猫のような高いかわいい声
まっすぐでしなやかな長いしっぽ
ふれずとも見つめるだけでゴロゴロ言ってしまうところが
彼女の性格を一番あらわしていた。



だいすきだよ、
だいすきだよ。



旅立ってから数日間、山田君、猫沢エミさん、栗コーダーカルテットの近藤さん、イナキさんが夜な夜なグダグダのわたしに
チャット状態でつき合ってくれて皆の猫愛にすごく救われました。


今、いちばん困っている事は
リロがいなくなってからリロの声が思い出せなくなってしまったこと。
あんなに毎日聞いていたのに
なぜだか遠くの方で霧がかかったようにはっきりと思い出せないのです。声だけ。。

記憶の中で迷子になっちゃったかな、、
もうすこし気持ちの整理がついたらきっと耳元でニャーと鳴いてくれるのかな。
待ってるよ。





4/1,10:01の桜




2015年3月17日火曜日

リロのこと

リロ&ハイジ


リロの病気のことでBlogを立ち上げました。
こちらは主に猫の闘病記になります。


リロ。
生後2ヶ月で我が家に来て現在10歳。
ハイジ。
生後4ヶ月で拾い現在8歳。
2015313日、リロは輸血しました。
悪性リンパ腫。今回はハイジから少し分けてもらいましたが今後も輸血の必要があるかもしれません。
リロとハイジ、
別々に我が家に来たけど、血の繋がった姉妹になりました。
詳しくは長ーいですが、下に書きました。




実は昨年の11月、急に食が細くなり(食べたそうにしてるのに食べれず)少し痩せていきました。1225日の朝、右目の瞳孔が開きっぱなしになり、慌てて動物病院へ。
そこで触診でまず右の腎臓が非常に大きくなっている事が判り、詳しく検査することになりました。
詳しい血液検査の結果は年末年始で年明けにならないと分からなかったのですが、恐らく悪性リンパ腫で腎臓に転移しているだろう、ということでした。
目の瞳孔の事は分かりませんでした。
腎臓は摘出しない方が良いだろうとの事。
聞きたくなかったけど聞かずにはいられなかった質問、リロの命のこと。
先生は無治療だと2ヶ月、治療して治療の効果があったとしても、46ヶ月くらいだろうと話しにくそうに答えてくれました。



血液検査の結果出てリンパ腫かどうか判明するまでは次の治療のステップに進めないので、年末年始はとにかく腎不全状態のリロの体の辛さが軽減できるように体内の毒素を薄めるべくほぼ毎日病院に通い、点滴。
の頃には食欲がゼロだったので、ネットで調べまくり(栄養不足で瞳孔がおかしくなることがあるという記事を見つけ)液体状の栄養食を見つけスポイトで少し ずつ飲ませました。結果、年の瀬には瞳孔は治ったものの、依然リロの食欲は戻らず嫌がるリロの口を開けて少しずつでも強制給餌するしかありませんでした。

年が明けて17日、血液検査の結果、やはり悪性リンパ腫という事が判った。リロは悪性リンパ腫が腎臓に湿潤した腎臓型。今の所他への転移は見られない。先生から一時間以上丁寧に説明を受けて相方と話し合った結果、抗がん剤治療を受ける事にしました。
クリスマスに相方と二人で泣きながら帰り、そこから色々自分達なりに病気のことを調べたり、リロが猫として、また私たちの家族の一員としてどんな風にしてあげたら彼女にとって一番良いのかたくさん話し合った。
そして出た答えは、リロの体の辛さを出来るだけ軽減させてあげること、この数ヶ月リロが食べたくても食べれなそうにしている顔をずっと見てきたので、少しでも自分の好きなものをまた食べれるようになれたら良いなという事でした。

先生がとても理解のある方で、抗がん剤も副作用があまり出ず、でも体に効くギリギリの量で投与することになりました。抗がん剤のプロトコールは5種類。6ヶ月の計画表を渡された。でもこの通りいくとは限らない。最初の一ヶ月は週一で癌に耐性ができないように種類を変えながら、リロの副作用の様子をみながら投与。
抗がん剤が効いて腎臓が小さくなれば、食欲が戻るかもしれなかった。だけど、悪性リンパ腫の腎臓型は抗がん剤が効く確率がとても低く、実際リロにも手応えは薄かった。

抗がん剤を始めてからは一日置きに病院で点滴を受けている。わずかには抗がん剤の効き目があるのか、カリカリを少し食べたり、ウェットを少し口にする日も出 てきた。それでも1日に必要なカロリーには到底足りず、病院食のペースト状のウェットを朝と夜に強制給餌。シャーシャー怒るリロに強制給餌は至難の技だけ ど、怒るちからも無くなってたので前よりかはわずかに良い。ずっと寝室にこもりきりだったけど、息子がいる居間に降りてきて一緒にカーペットの上で寝たり、私にもまたスリスリ出来るようになった。
ほんとうは心底甘えん坊なのだ。

私は勘違いしていた。小さな息子がドタバタ走り回る部屋、私はほとんどの時間を息子に手をかけなければならず、息子が生まれる前みたいにべったり構ってやれない。そんな事に嫌気が差したのかな、リロは静かに過ごしたいから寝室にいるのだと思っていた。病気と分かってから薬や点滴が効いて調子の良い時は一緒に側にやってくる、
また、具合が悪そうでも息子がワンワン泣けば必ずリロは息子の側に寄ってくる。
リロは猫らしい気高い所があるからひとりでいたいのだと思っていたけど、
ほんとうはみんなと一緒にいたかったのだ。


毎日毎日体調は変わる。2月の後半にはリロの体重が3キロを切り、2.8キロ台をウロウロ。3キロを切るというのは非常にショックだった。さらに小さくなって、背骨やお尻の骨が浮き上がった姿が痛々しい。
一通り試した抗がん剤も目立った効果が無く、でも劇的に悪くはならない程度に効いているという所。下痢や嘔吐などの副作用も幸い出なかった。
3月1日、耳の毛がうっすら抜けている。
3月4日、クリスマスの時に測った大きくなった腎臓が5cmが6cmにまた大きくなってしまった。プロトコール以外の抗がん剤に踏み切った。猫で使える抗がん剤はあと2種類しか無いそうだ。そのうちの一つはとても効き目が強いらしい。という事は副作用もそれだけ強い。
ずは副作用がそんなに強くない方の抗がん剤を試すことになった。一日置きに自宅で私が飲ませている。食欲増進剤とステロイドの薬も一緒に。これがリロに ヒットしたのか、3/7にはマグロの赤身を100gペロリと食べた。三日間続けて!腎不全のリロには本当は体に負担の少ない腎臓ケアに特化したご飯を食べて 欲しいと思い、あれこれ何種類もご飯を買って試したのだけど、とにかく続けて同じのは食べてくれない(ネットで腎不全のネコちゃん調べるとみんな同じ苦労 をしてる!)…。先生も、もう食べるなら好きなものなんでもいいよと言うのでマグロももう食べないし、ジャンクフード好きなリロに好きな味のカリカリをあ げることにした。

2.9キロ。たった100gだけど体重が増えた!!
猫じゃらしでちょっと遊んだりもする!!
病気になる前のリロに少し戻った感じがした。


比較的穏やかに効く抗がん剤とは言っても、やはり抗がん剤。強いのだ。体を傷つけるのだ。

312日、午前中にいつもの点滴を受けた。
でも、、午後から様子がおかしい。
夜には水を飲もうとして口をつけたまま動かない。
13日、相方が定期検診に連れて行くと、血液検査の結果、極度の貧血。今日か明日に輸血を、ということだった。


輸血の必要性は、のちのち必要になるかもしれないと先生から聞いていた。血液を提供してくれるネコちゃんにも少なからずリスクがある事も。緊急だったので今回は我が家の次女、ハイジの血を分けてもらう事になった。
ハイジは体が小さかったのでほんの少し、血を分けてもらった。幸い血液型もマッチした。リロはそのまま入院。
相方は17時にリロを病院に連れて行って19頃一旦ハイジを連れに帰宅、そのあと輸血でハイジを連れて帰って来たのは22時半だった。長い夜だった。


14日、リロ退院。ハイジの血液が体に馴染んだのか、リロはまた少し元気になった。
カリカリを半分くらい食べれた。お腹が空いていたのだ。
食べれないのは腎臓と貧血のせいで、食べたそうにお皿の前で実際としてる。本当は食べたいのだ。
15日、カリカリ少し。
16日、2.85kg。病院にて輸液、自宅で抗がん剤服用。ウェットのスープのみペロペロ。ささみのゆで汁を足すと飲む。



抗がん剤を続ければリロの体調はなんとか維持出来るけど
副作用で貧血が進み、輸血が必要になる。
抗がん剤をやめても、リロの腎臓が血液を作ってくれるホルモンがどれだけ作ってくれるかどうか。。
どちらにしても、また貧血になってしまうかもしれない。



去年のクリスマスにリロの病気が分かってから
最初に告知された余命2ヶ月は、クリア出来ました。もうすぐ3ヶ月になろうとしています。

とても悲しい運命だけど、生まれたからには必ず土に戻る日が来る。
嘆いてそこにとどまっているよりも、リロとまだ一緒にいられる時間を与えてくれた事に感謝しよう。


どうする事がリロにとって一番いい方法なのか、考えても考えてもよく分かりません。
自然の摂理に任せるのも良いのではないか、猫の場合リンパ腫はたとえ抗がん剤治療をしても緩解する事はほとんど無いそうで、
そうなればはただの延命でしか無く、わたしたちのエゴなのではないか。
色々、色々散々悩んでまだ揺れているけど、
リロがごはんの前にじーっと座ってごはんをみつめるだけで食べれない様子が
少しでも良くなれば、、延命というよりは、痛みや苦しみが少しでも緩和されればという思いで治療を続けています。






少し明るい気持ちでいられるのは、もうすぐ2歳になる息子が、
「ニャンニャーン♡」と良いながらバッグに入れたリロを持とうとして、病院に一緒に行ってくれる事。いつも側にいるハイジの事は叩いてしまう事もあるけど、リロのお腹はそっとなでてくれる。
自転車の前カゴではリロが鳴き、後ろでは息子が鼻歌を歌いながらにぎやかに一日おきに通院、
病院では息子を背負っていますが、たまに降ろせば待合室の他のわんちゃんや猫ちゃんの入ったバッグを
ひとつひとつ覗いてまわって鞄越しにそっとなでたりしています。(たまに出してとせがみますが。。)
先生方もとても優しく、息子が忘れて行ったヘリコプターのシールを
病室の窓に貼ってくれたりして少し心が和みます。



もし、もし、また貧血になった時、友人の猫ちゃんで
血液を分けてくれる方がいましたら、連絡下さい。

血液を提供する側にもリスクが多少あるので、お願いするのはとても心苦しいのですが。。。