2015年4月6日月曜日

リロのこと。




リロのこと。


リロ、2015年4月1日10時8分
私の腕の中で旅立ちました。

ありがとう、ありがとう
それしかない。



この日は朝9時に息子を託児室に預けて
リロとふたりで病院に向かいました。
4、5日前から飲まず食わずになり、下痢が続いた。水やご飯を口に運ぼうとしても、リロが心の底から拒んでいるのが分かった。
もうリロの命が終わりを迎える準備を始めた事を受け入れなくてはいけない事を悟った。
皮下点滴さえリロの体の負担にならないか、またこの先リロの体に起こると予想される事、その時の対応などを先生に相談したかったので
いつもは連れて行く息子は預ける事に決めていました。そして帰ったらリロが過ごし易いように部屋の模様替えをしようと思っていました。

先生はわたしの不安や疑問にゆっくり丁寧にお話し下さり、体が皮下点滴の水分を吸収出来ずむくんでいる事から
もう点滴もやめて様子をみよう、出来るだけ一緒にいてあげてとおっしゃいました。
もうすぐかもしれないし、長くても2、3日と。。
体重は3.04kgでしたが、点滴の水分が溜まってるとのことでした。
今日が最後の通院になるかな、きれい好きのリロが頑張ってトイレに這って向かいトイレの中で倒れている、
最後の2日は途中で間に合わず本人としてはすごく悔しいだろうな、
そんなリロを見てわたしもきちんと覚悟をしなくてはと思ってもやっぱり病院でも行き帰りの自転車でも泣けてくる。


曇り空に桜が満開に浮かび上がっていた。
ほんのすこしだけリロと近所の神社でお花見をすることにした。
外を見るのが好きだったけど、ここずっと通院以外は部屋の中だったから最後に外に出してあげたかった。
リロの入ったバッグを持ちながらふたりで「リロがなるべく苦しくなく、痛くありませんように」とお参りして
ベンチに座った。リロをバッグから出して、膝に乗せた。
もうリロはふにゃふにゃで手足に力が入らず、わたしの腕にもたれかかった。
神社の小さな公園はたまたま誰もいなくてとても静かだった。
風がそよそよ穏やかな時間の中、リロに花の匂いがするね、鳥の声がするね、と話しかけながら撫でた。
ここ4日くらいリロはずっと辛そうで神経も張っているのかずっと目を開けて眠れない様子が気になっていた。
だけど、この時ばかりはとても気持ち良さそうに目を閉じたので私も嬉しかった。
桜の写真を撮って家に着いたら聞いた事のない声で小さく鳴いた。
急いでいつものリロのお布団の所に出したらもう一度聞いた事のない声で大きく鳴いた。
慌ててリロを腕の中に抱きあげた。そこからは数秒だったと思う。
彼女は旅立って行きました。
その間ハイジがずっとリロの足を舐めていました。

わたしの最後のリロへの望みがリロを腕の中で引き取る事だったので...
ほとんど苦しむ事もなく、リロはほんとうにほんとうに最後の最後までいい子でした。






3/14ダイニングのリロ




ほんとうは、
リロが輸血をしたあとで一度Blogを書こうと思っていました。
その頃のリロは少し体調も良くて、病気になる前はいつも寝室でひとりで過ごす事が多かったのですが
ちいさなダイニングテーブルの上によくいるようになった。わたしはそこにリロのお気に入りのブランケットを敷いた。
家の中では一番うるさい場所。ちいさな怪獣のような息子がダイニングの上で走り回ってもリロはそこに横になっていた。
わたしたちが食事をする時もリロはその匂いにつられるようにテーブルの上に乗って来てリロも少しウエットのスープを舐めたりしていた。
調子が良い日はマグロを100g、3日続けて食べてくれる日もあった。
11月くらいからずっと食べたいのに、食べれないようなご飯をじっとみつめたまま食べる事の出来ないリロを見て来ただけに嬉しいひとときだった。
だけど、その翌日にはまた何も食べられなくなってしまった。
最初の輸血(3月13日)から2週間後、検診でまた貧血がかなり進んでいるとの事だった。
2週間でこれだけ貧血が進んでいると、再び輸血してもあまり効果がない事、また輸血しても元々のリンパ腫が良くなる訳ではなく、
腎臓がんも日増しに大きくなって行ってるのでそれだけ苦しみを伸ばしてしまう事になる。
更に、輸血ドナーとなったハイジにも同じ頃首の下に500円玉大のハゲが出来てしまった。
慌てて病院で診てもらったがこれといって細菌感染してる訳でもなく、ストレスだろうと。
前回のBlogで焦って盲目的に輸血のドナーを募ってしまいましたが、ドナーの側にこんなにもリスクがある事も初めて知った。
家族で話し合って、これ以上の輸血はやめる事にした。そう感じてはいたけどなかなかお互い言葉に出せなかった時、
この日診察にあたってくれた先生が「自分の猫だったらこれ以上の輸血はしないですね」とはっきりとおっしゃってくださったので踏み切れた。
ドナー候補に名乗りを上げてくれたハックルベリーフィンのさくちゃん(てんちゃん)、ハジ(ウイリアム)、猫沢エミさん(ピガ&ユピ)、
ゴメスザヒットマンの山田君(ポチミちゃん)、イラストレーターのイナキヨシコちゃん(ミルーちゃん)、スタッフのYちゃん(うづきちゃん)…
ほんとうにありがとう。。涙が出る程嬉しかったよ。

3月22日、再び食欲が全く無くなった。先生にお願いして2日に一度の通院での皮下点滴を自宅で出来るようにお願いした。それ以外の薬はやめる事にした。
23日、食欲無し、トイレで動けなくなっていた。自宅で皮下点滴。初めてなので自分の指に針を刺してしまった。
24-27日、ほぼ毎日自宅で皮下点滴、食欲もずっと無い。ひとくち、ふたくち無理のない程度に強制給餌。
28日、下痢。水分を補給してあげたいが、心の底から拒否していると感じる。ほとんど食べていないのに出てくる下痢は通常とは違って
もう体が最期の時を迎える準備をしてるのかな、と感じさせられた。夜私のベッドに入ってくる。朝方トイレで倒れていた。
29日-31日まで頑張ってトイレに行っては倒れているという感じ。ほとんど間に合わなくなっていた。31日の朝お尻を洗ってあげてから下痢が止まった。

3月31日、手にも力の入らないリロ、動けない。ここ数日はトイレまで自分で行きたいと思って無理には寝室に連れてこなかったけど、
夜リロが横になっている姿を見てたまらなくなり、息子が寝たあとペットシーツをたくさんベッドに敷いてリロを抱き上げて連れて来た。
息子、わたし、リロ、おまけに珍しくハイジもやってきて4人でベッドで眠った。
リロに腕を沿わせて毛の中にわたしの顔を埋めながら初めて出会った時の事から、いろいろ話しかけた。
ここ1週間はリロがトイレで倒れるようになってから猫砂の音一粒でも聞き逃さないように気を張っていたので、
リロのぬくもりに触れていたら安心してすうっと眠れた。

4月1日、珍しく息子も私も5時半にすっきりと目が覚めた。むくっと起きた息子が私の隣のリロを指差し、自分も一緒に横に寝たいと言う。
リロの隣に横になってリロをさわさわ撫でる。なんだか満足そう。下の部屋に降りよう、と言っても嫌だと言ってなかなかリロの側を離れなかった。
カーテンを開けてリロを寝室に横にしたまま時折リロの様子を見に行きながら朝の準備。
リロを自転車のカゴに乗せて9時に息子を託児室に預けた時、別れ際いつもはバイバ~イ♪と手を振ってあっさりお別れ出来るのに、
息子は一緒に病院に行きたいと今日だけは珍しく泣いた。日々の日課になっていたし、一緒に病院に行く時はリロの入った鞄を息子が持とうとさえしてくれるから
別々なのが寂しかったのかな、それとも今朝の事もあったし不思議な勘でこどもは気付いていたのかもしれない。
そしてそのあとの事はこのBlogの冒頭に戻ります。


前夜から旅立つまで、まるで全てが約束されたような
映画みたいな時間だった。





甘えん坊でさびしん坊
人見知りだけど世話焼き
クールなように見えて実はおっちょこちょい
ひとりでいるのも好きだけど、息子が泣いてると必ずそばにやってくる
きれい好きで気品があって
人間だったら誰もが振り返るような美人
雑種とは思えない位ほどよい長さで極上の毛並みに
彫刻みたいな美しい模様
こぼれそうな大きなグリーンの瞳、
子猫のような高いかわいい声
まっすぐでしなやかな長いしっぽ
ふれずとも見つめるだけでゴロゴロ言ってしまうところが
彼女の性格を一番あらわしていた。



だいすきだよ、
だいすきだよ。



旅立ってから数日間、山田君、猫沢エミさん、栗コーダーカルテットの近藤さん、イナキさんが夜な夜なグダグダのわたしに
チャット状態でつき合ってくれて皆の猫愛にすごく救われました。


今、いちばん困っている事は
リロがいなくなってからリロの声が思い出せなくなってしまったこと。
あんなに毎日聞いていたのに
なぜだか遠くの方で霧がかかったようにはっきりと思い出せないのです。声だけ。。

記憶の中で迷子になっちゃったかな、、
もうすこし気持ちの整理がついたらきっと耳元でニャーと鳴いてくれるのかな。
待ってるよ。





4/1,10:01の桜